追悼・佐野章二さん
追悼・佐野章二さん
――高田馬場の事務所と、あの笑顔
「ビッグイシュー日本版」の創業者、佐野章二さんが亡くなられた。84歳だった。その知らせをネットで知って、二十年ほど前のことを思い出した。
ビッグイシュー日本版が東京に進出し、高田馬場に事務所を構えた頃、私は何度かその事務所を訪ねた。何が最初のきっかけだったのかは、もうよく覚えていない。ただ、佐野さんが始めたビッグイシューという雑誌が、私にはとても画期的に見えた。佐野さんも、私が『ロッキング・オン』の創刊メンバーだったことを知っていた。だから会うと、自然に雑誌の話になった。
佐野さんからは、ビッグイシュー日本版を立ち上げた頃の苦労話をいろいろ聞いた。私も『ロッキング・オン』創刊時の苦労話をした。時代も、雑誌の目的も違う。しかし、まだ世の中に存在していない雑誌を、何もないところから立ち上げるという点では、共通するものがあった。「お互い、ライターやモデルにノーギャラだったのが似てるね」。そんなことを言って、二人で笑ったことを覚えている。
佐野さんから聞いた話では、英国でビッグイシューが生まれた背景には、当時深刻になっていたホームレス問題があったという。フォークランド紛争や湾岸戦争などを経験した元兵士の中には、精神的な傷を抱え、社会復帰できず、路上生活に入っていく人たちがいた。もちろん、ビッグイシューは帰還兵だけを対象とするものではない。ホームレス状態にある人たち全体に、単に施しをするのではなく、自分で雑誌を売り、収入を得る仕事を作る。そこに、この雑誌の新しさがあった。
しかし、ただホームレスの人に雑誌を渡して売ってもらえばいいわけではない。まず、普通の人がお金を払って読みたくなる雑誌を作らなければならない。英国のビッグイシューは、文化人や著名人に協力を呼びかけた。資金援助だけではない。原稿やインタビュー、写真など、コンテンツそのもので協力してもらう。ポール・マッカートニーのような世界的なスターたちも誌面を飾り、雑誌そのもののインパクトを高めていった。「ホームレスを支援するためだから買ってください」ではなく、「読みたい雑誌だから買う」。その購入が、結果として販売者の仕事になる。私は、この仕組みがとても面白いと思った。
日本版の創刊も簡単ではなかったようだ。当時の日本でも、路上生活者の増加が大きな社会問題になっていた。英国で始まったビッグイシューの仕組みに感動した人たちが英国側と連絡を取り、日本でもやろうと動き始める。佐野さんは、その中心にいた。金銭的な苦労も当然あった。印刷費もかかる。事務所の固定費もかかる。それだけではない。今でこそ、成功した人や著名人が、自分の知名度や才能を社会的な活動のために提供することは珍しくない。しかし当時の日本では、そういう発想は、まだ今ほど一般的ではなかったと思う。
佐野さんからは、表には出てこない創刊時の裏話もいろいろ聞いた。その中で、今でもよく覚えている話がある。ホームレスの人たちが街頭で雑誌を販売する。ならば警察に届けておいた方がいいだろう。そう考えて、佐野さんは警察に相談に行ったという。すると、担当した警官が言った。「佐野さん、あんたのやっていることは理解するし、応援したい。だけど、あんただけを許可すると、今後、路上販売したいという人が現れたときに、断れなくなる」。だから、許可は出せない。しかし、取り締まりもしない。佐野さんは、そんなふうに街頭販売が始まったのだと話してくれた。浪速らしい人情話でスタートしたのだ、と。この話が私は好きだった。制度としては特例を認められない。しかし、人としては応援したい。新しいものが社会に生まれる時には、そんな制度と人情の隙間を抜けながら進んでいくことがある。
やがてビッグイシューは認知度が高まり、東京にも進出した。販売に参加するホームレスの人たちも増え、雑誌も少しずつ売れるようになっていった。佐野さんから聞いた話では、毎号二十冊ほどまとめて買ってくれる奥さんたちも増えてきたという。一冊だけ買うのではない。まとめて買って、知人に配る。読者の側にも、自分なりの参加の仕方が生まれていったのだろう。
それでも経営は楽ではなかった。印刷費も固定費もかかる。ある時、佐野さんは思い切って定価を大幅に上げる決断をした。二百円だった雑誌を三百円にする。五割の値上げである。普通の雑誌なら、かなり勇気のいる決断だったと思う。しばらくして佐野さんに会った時、私は聞いた。「値上げして、部数は下がりましたか」。佐野さんは笑みを浮かべて言った。「橘川さん、部数は全く変わらなかった。読者にとって、定価は関係なかったようです。おかげで前に進めそうです」。その言葉を、私はよく覚えている。ビッグイシューを買っていた人たちは、単に一冊の雑誌を買っていたのではなかったのだと思う。雑誌を買うことで、その仕組みそのものに参加していた。
値上げからしばらくして、六本木で関係者を集めたパーティーが開かれた。「これから、ますますやっていくぞ」。そんな戦闘宣言のような集まりだった。私も参加した。帰りに、お土産としてビッグイシューの販売員が着ているTシャツをもらった。あれからずいぶん時間が経った。そのTシャツも、もう相当に古い。何度も着た。それでも、なかなか捨てられない。今でも、ときどき着ている。
その後、佐野さんと会うことはなくなった。そのまま長い時間が流れた。そして今回、亡くなられたことをネットで知った。高田馬場の事務所で聞いた創刊時の苦労話。雑誌について語り合った時間。「ノーギャラだったね」と笑ったこと。値上げの後、「部数は全く変わらなかった」と、うれしそうに話していた顔。六本木でもらったTシャツ。いろいろな記憶が、急に戻ってきた。
いつか佐野さんの本を作りたいと思っていた。しかし、後の祭りである。高田馬場の事務所で過ごした時間の記憶と、佐野さんの笑顔だけが、私の中に残された。
謹んでご冥福をお祈りします。
すでに登録済みの方は こちら