出版業界の歴史(4)書籍とは何か?

書籍には著者がいる。著者と1対1で出会うために書籍がある。
橘川幸夫 2023.07.23
誰でも

 出版界には「雑誌」と「書籍」があって、雑誌は時代状況の最前線や事件を素早く提供することが役割である。つまり新聞の発展形だと思う。「選択」や「FACTA」などのジャーナリズム雑誌のライターは、新聞記者関係の人が多い。新聞では伝えられないものを雑誌で展開しているのだろう。

 新聞や雑誌の役割は「広く多くの人にいち早く伝える」ことだから、インターネトという情報流通システムが登場されると、吸収されていった。

 インターネット(雑誌的なるもの)と書籍との違いは何であろうか。私は「書籍には著者がいる」ということだと思う。書籍には著者個人がいて、個人としての読者と向かい合う。

 インターネットには著者はいない。あるムーブメントや関心領域の扇動者・トリックスターがいるだけである。ユーチューバーやカリスマが、それぞれの関心のあるテーマの話題を提供して、情報コミュニティを作る。まさに雑誌の読者のように、政治的なコミュニティもあれば、コスメのコミュニティもある。そして、雑誌と同じように、盛り上がったり廃れたり、変動が激しい。

 それに対して、書籍し、著者個人の作品であり、読者もコミュニティとして読むのではなく、個人個人で選択して読む。まさにP2Pのメディアである。

 私は1981年にはじめての書籍「企画書」(JICC出版局)を出した。それまで雑誌だけしか作ってこなかったので、何か違和感を感じたが、新しい領域へのチヤレンジの気持ちがあった。

 それでその時の初版は確か8000部か1万部であった。今となっては1万部出ればヒットと呼ばれる。しかし、当時は私のような新人でも、そのぐらいでいけた。

 初版部数は、そこから減少していく。80年代、90年代で何が起きたのかというと、これはそのうちゆっくりまとめるが、簡単に言うと、出版社に銀行や経営コンサルが入ってきたり、他業種の成功者がスポンサーとなり、効率性と生産性を高めることを要求されたのだと思う。

 その結果、本来の本の姿である個人が書きたいものを書いて出版社がそれを認める、というスタンスから「最初から売れる本だけを作る」という方向に変化したのだと思う。80年代バブル以後、出版界で変わったのは出版点数の増大である。

 この図のように70年代の成長期とともに書籍の発行点数は増えていき、80年代半ばのバブルの時代から急速に増えていく。そして2013年から急落している。

 バブル以後に何があったのか。著者が増大したわけではない。読者層が拡大したわけでもない。個人である著者が人生を賭けて書いた本ではなく、プロダクション的な作業によるマニュアル本やビジネス本が増えたのだと思う。そして、そうした書籍は、インターネットそのものに吸収されて意味を失った。

 私は、書籍の著者も本を読む人の数も、70年代の時とあまり変わっていないのだと思っている。出版業界は、バブルと情報化によって水ぶくれして、自滅したのではないか。

 私は、以前より「70年代からやり直し」というスローガンを言っている。出版に限らず、あらゆるモノヅクリは70年代までは日本型と言ってよいほど独自の発想と方法で展開してきたのだと思う。家電もウォークマンのような新商品を出し、店舗も東急ハンズのような新しいコンセプトを打ち出せていた。

 それがバブル経済によって、舞い上がり翻弄され、気がつけば経済原理だけが生き残る殺伐とした業界になっていったのではないか。

 私は、70年代に意識を戻して、バブルに進まない80年代を目指すべきだと思う。幸い、インターネットという社会インフラが出来て、人の交流や関係性の結び方については史上はじめての参加型のコミュニケィティブ・ソリューションが誕生している。この上で、本来の出版を再追求すべきだと思うので。

 すなわち、著者が人生を賭けて本を書き、それを受け止める一人ひとりの個人がいる、という環境に。新しい出版業界と出版マインドを復興させたい。

(つづく)

参考▼アメリカでも、同じようなことが起きているんだな。

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