追悼・木滑良久さん

戦後の雑誌文化をリードしたマガジンハウスの木滑良久さんがお亡くなりになりました。
橘川幸夫 2023.07.19
誰でも

木滑良久さん死去、93歳 マガジンハウス最高顧問

 私たちの世代のスター編集者は、平凡出版(マガジンハウス)の木滑良久さんと講談社の内田勝さんである。木滑さんは、「平凡」「平凡パンチ」「anan」の編集長を勤めて、70年代に「ポパイ」「ブルータス」を創刊した。内田さんは、講談社で少年マガジンの編集長として新しいマンガや原作者を続々と発掘して、はじめてマンガ雑誌を100万部の大台に乗せた。

 木滑さんには「木滑軍団」と呼ばれ社外のライターやコーディネーターがいて、常に複数のチームが世界を遊んで回って、最新情報を木滑さんに報告し、記事化する。その軍団の最左翼にいる過激派が坂本正治さんだった。ポパイでもブメータスでも創刊から坂本さんの枠があり、ブルータスでは「21世紀紙芝居」という最新のテクノロジーを駆使したアナログな文章は、特異な頁だった。

 私がポンプの編集長だった頃、坂本さんの紹介で木滑さんと六本木の寿司屋に行ったことがある。坂本さんは、お見合いのように、私と木滑さんの二人を残して消えた。何を話したか覚えていないが、「雑誌はこれから参加型になっていく」という自分のやってることを説明したのだと思う。それ以後、関係は結べなかった。

 坂本さんは、小谷正一さんにも紹介してくれて、小谷さんとは亡くなるまでお付き合いさせていただき、薫陶を得た。坂本さんに感謝である。

 木滑さん(坂本さんはキナさんと呼んでいた)は日本の高度成長と共に発展した雑誌文化の中央にいた人である。雑誌文化とは、こだわりを持った人間が徹底的にこだわり、それを広告が支えたのである。日本の高度成長は企業に莫大な利益をもたらし、税金に持っていかれるなら、広告で自社のブランド力を高めようとした。幸福な時代である。

 木滑さんは、スタイリッシュなシティボーイであり、内田さんとは対照的だった。なにしろ内田さんは、自分が発掘したマンガ家のジョージ秋山の「ゼニゲバ」の顔モデルである。

 業界の伝説では、木滑さんは、もともと平凡出版の営業にいたが、「平凡」の女性編集者が、当時、大スターだった石原裕次郎に取材に行くと、メロメロになって取材にならない、というので、平凡出版で一番ハンサムな木滑さんを編集部にスカウトして石原裕次郎担当にしたという話がある。伝説かも知れない(笑)

 平凡出版という社名は戦前に平凡社が創刊して休眠になっていた雑誌「平凡」を岩堀喜之助さんが譲り受けてスタートした経緯がある。その時、おそらく、平凡社への義理から雑誌専業にして書籍はやらないという了解があったのではないかと思う。高度成長の中で平凡社は百科事典の平凡社として猛進したが、やがて百科事典の価値が喪失してしまった。

 平凡出版は、雑誌販売と広告収入の両輪で事業を拡大していった。築地電通の橋を渡ったところに平凡出版があり、木滑軍団のフリーライターたちが用もなく立ち寄ると、鰻やビーフシューを食べさせてくれた。20代の私のゴールデン街の先輩であった平凡出版の編集者だった土佐さんは、夕方に会社にちょこっと出勤して、あとはゴールデン街で飲んでた。

 友人の金塚貞文さんが「anan」の特集でとりあげられた時に、送り迎えのハイヤを手配してくれて、金塚さんは「いや電車で帰ります」と辞退していた。雑誌広告料金も強気の設定で、噂では、広告頁とは別にグロスで広告主と契約をし、通常の記事の中にもさらっと当該企業の商品を配置するというようなこともやっていたようだ。雑誌の黄金時代のど真ん中の出版社である。

 1983年に二代目社長の清水達夫さんが「マガジンハウス」に社名変更した。社内では、猛烈な反対運動が起きていると坂本さんから聞いていた。清水さんは、創業時のメンバーなので「雑誌」に人一倍こだわったのだろう。社名変更と同時に清水さん肝いりの雑誌「鳩よ!」を創刊したがうまくいなかった。

 やがて日本のバブルが崩壊して、雑誌広告の価値が失われてくる。1988年に木滑さんが社長になり、ユニークな雑誌を創刊し続けた。書籍も本格的な事業として開始し、総合出版社になった。

 木滑さんは、アメリカ文化に憧れた、おしゃれな立教ボーイだった。彼の息子が高校時代、ポンプの読者の同級生だったので、ポンプの編集部に連れてきたことがあった。まだ市販されてすぐのウォークマンを持っていて、親父の所に送られてきたのをもらった、と言っていた。

 木滑さんは、2010年くらいに、文科省でODECOを一緒に追求していた小柳晶嗣くんに連れていかれて、マガジンハウスを訪問したことがあった。木滑さんは、80年前後にサシで寿司を喰ったのに、私のことを覚えてなかった。どこかで聞いた話だが、「木滑さん、人に会いすぎ」(笑)

 また、こうして1970年代を築いた人たちが現世から消えていく。「ポパイ」や「HANAKO」を育って人たちが、キナさんのあとを追って、また新しい雑誌を創刊してくれることを信じています。

 ご冥福をお祈りいたします。

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