ジャニーズ問題の何が問題か(3)
1.タレントはどこから現れるのか。
ジャニーズの問題は、当事者が亡くなっているので、これから調査しても問題の本質がえぐり出せるか疑問である。問わなければならないのは、日本の文化に根付く、権力あるものへの疑問を持たない平伏と、むしろ、その構造を自分の利益(ビジネス)にして儲けることが自分の企業への貢献だと思っている日本企業の空気の問題である。権力者がどのような悪行をやっているのかを薄々でも気づいていながら、おこぼれ頂戴して笑うことは共同正犯である。
テレビのアイドルタレントの出自を考えてみよう。
ひとつはジャニーズ系である。これが明らかになったことは、多くのアイドルたちは経営者への性的奉仕によってジャニーズであることを許された存在である。
もうひとつは世襲である。
親が戦後社会で有名になった俳優やタレントの子どもたちである。もちろん、それぞれの子どもたちは苦労と精進を重ねて、親の七光りで人気を獲得したのではないだろうが、普通の一般人の子どもより、あるゆる意味で恵まれた環境であったことは間違いではないだろう。
そして、もうひとつは仮面ライダーである。
もちろん「仮面ライダー」だけではないが、象徴的な番組としてとりあげた。
テレビの長寿番組でデビューするのは、テレビの子役や子どもモデルとしてオーデイションに受かり、子ども芸能事務所に所属した子たちが多い。事務所に所属すると、演技レッスンや、ダンスや音楽のレッスンを受ける。
ステージママと言われる母親が、自分の子どもをタレントにするために、多額の費用を払って育てるのである。ある程度、裕福な家庭しか、タレントになるための教育を受けせることは出来ないだろう。
かつての「スター誕生」のように全国的なオーディションで才能を認められるというデビューの仕方が薄らぎ、テレビのシステムとして、子どもをタレントに育てる仕組みと、番組が用意されているのである。
2.個人と組織
つまりテレビで活躍するために、偶然の奇跡を期待しないのであれば、確実に進める道として「性的奉仕」「世襲コネクション」「資金投資」の3つが考えられる。
このことは、もしかしたら芸能界だけではなく、日本社会の本質的な構造かも知れない。政治家の世襲コネクションによる秩序化が、田中角栄のように底辺から這い上がった政治家の存在を認めないのだろう。地方の役所などの構造も世襲制かと思えることがある。
人は安定を求めて秩序を形成していく。しかし、それが流動的な形成過程を経て、固定化された秩序になった時、新しい人材や発想を秩序が拒否していく。
アイドルのファンや政党や宗派の支援者は、一律に、与えらた幻想の秩序からはみ出そうとしない。
人は誰もが個人である。個人とは、誰もが自分の価値観と視点を持つ。ある点において、共通の価値観や視点を共有する人に出会えたら幸福だろう。しかし、それは「ある点」においてである。すべてが共有出来るわけがない。
政治党派の指導者の意見は、ある点では賛成するが、別の点では賛成出来ないというのが個人としては当然だろう。にも関わらず、ある政治党派の主張はすべて賛成で、対立する政治党派の主張は個人がよいと思っても反対せざるを得ない組織など意味があるのか。
私たちは、個人の視点の確立と独立性を追求すべきだ。その上で、大好きな人の大好きな部分には、大きな声で声援を送りたい。
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