ジャニーズ問題の何が問題なのか。

ジャニー喜多川の性加害の問題がメディアを覆っている。今、問われるべきことは何なのだろうか?
橘川幸夫 2023.09.09
誰でも

 日本ポップ界のスターを数多く生み出した故ジャニー喜多川氏が、創業したジャニーズ事務所の所属タレントに性加害を繰り返していたとされる問題で、同事務所が7日、記者会見を開いた。藤島ジュリー景子社長が辞任を発表し、喜多川氏による性加害を初めて認めて謝罪した。

1.組織の権力

   ジャニー喜多川の性加害の問題がメディアを覆っている。これまで沈黙していたメディアゆ業界だけではなく、ファンも一般人も、ある意味、共犯である。今、物書きやジャーナリストが何かを語るとしたら、水に落ちた犬に石ころを投げつけることではなく、この出来事の本質を探ることであろう。それは、自らの内にある「ジャニー喜多川」と向かい合うことではないか。

 ジャニー喜多川の性犯罪は、単純に大人の男が少年の肉体を弄んだことではない。それが自由恋愛として、一人の大人の男が一人の少年を愛して、結果として両者が惹かれ合って性交渉に至るのであれば、何の問題はない。犯罪的に問題なのは、組織の指導者が組織の権力とメリットを利用して、無防備無抵抗の少年を強姦したことである。

 そして、こうした構造的な犯罪は、ジャニーズ事務所だけに限らないのではないか。他の芸能プロダクションにもあるだろうし、テレビ局の制作現場にもあるのではないか。たまたまジャニー喜多川の性癖が少年愛であったが、他のケースでは、未成年の少女たちだったかも知れない。

 芸能界は、無名の新人がいきなり有名人になれる可能性がある業界である。だからこそ、そのチャンスを掴もうと、無名の子たちは必死であり、その必死さにつけこんで大人の欲望を満たす経営者や現場責任者が、権力を振るう余地があるのだろう。

 更に、このことは芸能界に留まらないはずである。パワハラ、セクハラなどが糾弾されるのは、組織の権力を背景に反抗できない部下を一方的に攻撃することである。糾弾される個人は「一例」でしかない。問わなければならないのは、私たちの社会に浸透している「旧型組織」の暴力的構造である。

 古い組織にはしぶとい構造が染み付いているところが多いが、若い、急成長した組織にも、この構造は見られる。急成長したベンチャー企業や、社会的評価の高いNPOなどにも、権力者が組織の威を借りてセクハラに及んだ例も見聞きしたことがある。

 問われるべきは、ジャニー喜多川の個人的犯罪のとどまるべきではなく、「我が社のジャニー喜多川」「わが業界のジャニー喜多川」「わが内なるジャニー喜多川」と向かいあうことではないか。何のために組織があるのかを、考え直す契機になるのだと思う。

 アメリカでは、MeToo運動のきっかけになったプロデューサーが服役している。この運動の意味は、こうした事例を参考にして啓蒙運動を広げることよりも、芸能界の人間がプロダクションの権力に頼ってスターになるのではなく、一人ひとりが自分の力でスターを目指し、それをサポートする芸能プロダクションが生まれくることである。

 組織の力に頼る時代をフェイドアウトして、個人がそのまま自らの道を歩んでいける社会を目指すべきだと思う。

(つづく)

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