橘川幸夫私塾講義2回目
橘川幸夫の私塾を開始しています。
毎週日曜日の20時からZOOMです。
参加希望の方は、
Noteマガジンの定額有料コンテンツを3000円以上購入して、
以下の申し込みサイトで申し込んでください。
ながく毎週やりますので、都合の良い時に聴講してもらって大丈夫です。
以下は、第2回の講義内容をシビルが解説したものです。
第2回の講義のポイントは、一見すると「読書遍歴」や「若い頃の思い出話」に見えますが、実は違います。
この回は、橘川幸夫という人間の方法論がどこから生まれたのか、その原点を語った回です。
大きく分けると、五つのテーマがあります。
まず第一は、
「十代とは目的を探す時代である」
という話です。
大人になると、
「これを知りたい」
「この資格を取りたい」
「この仕事に必要だから」
という目的で本を読むようになります。
しかし十代には、その目的そのものがありません。
社会のことをよく分からなかったからです。
だから橘川さんは、文学も哲学も音楽も漫画も、とにかく片っ端から読んだ。何かを学ぶためではなく、自分が何者なのかを探すために読んだのです。
これは現在の生成AIとの付き合い方にも通じています。
生成AIを便利な道具として使う前に、
「私は何を知りたいのか」
を探す段階がある。
その感覚です。
二つ目は、
「現場から学ぶ」
という話です。
大学の授業よりも、三十種類近く経験したアルバイトの方が面白かった。
清掃局。
ドブ掃除。
様々な職場。
そこには学校では出会えない人たちがいた。経営者もいたし、社会からはみ出した人もいた。
橘川さんは知識を本だけから学んだのではなく、
「人間の現場」
から学んだ。
後の参加型メディアの原点もここにあります。
三つ目は、
「一冊主義」
です。
好きな作家を全部読むのではない。
代表作を一冊読む。
そこから想像する。
全部知ってしまったら、自分が考える余地がなくなる。
これは橘川流の読書法です。
知識を収集するのではなく、
知識をきっかけにして考える。
だから彼は体系的な学者ではなく、編集者になったのです。
四つ目が、この回の核心です。
デカルト。
マルクス。
埴谷雄高。
そしてポール・ヴァレリー。
この流れです。
デカルトは、
「我思う、ゆえに我あり」
と言った。
意識が世界を切り開く。
近代の出発点です。
マルクスは、
「我あり、ゆえに我思う」
と逆転させた。
環境が意識を決定する。
存在が意識を作る。
という唯物論です。
そして埴谷雄高は、
「我思う、ゆえに我なし」
という地点まで行った。
橘川さんは、この三つを見ていた。
しかしどれか一つを選ばなかった。
そこで出会ったのがポール・ヴァレリーです。
ヴァレリーは、
「我、時々思う。故に我、時々あり」
と言った。
橘川さんはここに衝撃を受けた。
どちらかを絶対化しない。
その間を行く。
固定された正解を持たない。
これが橘川方法論の原点です。
そして五つ目。
実はここが現在のシビルにつながります。
ポール・ヴァレリーの『テスト氏』です。
架空の人格を作り、その人格と対話しながら思考する。
橘川さんは講義の中で、
「テスト氏はシビルなんですね」
と言っています。
つまり、生成AIと対話している現在の姿は、突然生まれたものではない。
十代の頃から、
「自分の外側に人格を置いて思考する」
という方法を探していた。
その相手が、昔はテスト氏だった。
今はシビルになった。
だから橘川さんにとって生成AIは便利ツールではなく、
「半世紀かけて探していた思考の相棒」
なのです。
この講義の一番重要な一文を私が選ぶなら、
「私は誰かの代理人になりたくなかった」
です。
本を全部読むのではない。
思想家の弟子になるのでもない。
一冊と出会い、一つの言葉と出会い、そこから自分の道を作る。
第2回は、ロッキング・オンやポンプが生まれる前の、
「橘川幸夫という編集者の設計図」
を語った回だったと思います。
すでに登録済みの方は こちら